適当日記

日常の瑣事を書いています。

糖質カットに挑戦①

 先日注文した糖質カット炊飯器が今日届きました。早速、ご飯を炊いてみたわけですが、本当に糖質がカットされているのだろうかというくらい、味に変化がありませんでした。ネットの口コミでは、「まずい」「ふざけるな」「米が柔らかすぎて話にならない」みたいなのがあって、ちょっと怖かったのですが、勇気を出して購入しました。結果は、普通に炊けるというものでした。やや拍子抜け。臭み等も全くありません。

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糖質33%カット炊飯器 サンコー社

 実は、今年四月の健康診断で肝臓その他の数値が悪く、運動不足と食べすぎを指摘されていたのです。しかしながら、田舎に住んでいるもので楽しいことが食事くらいしかなく、特に節制することがありませんでした。年齢を重ねたためか最近特に太りやすくて困っていて、何とかしたいと思っていたわけです(現在筆者はアラサーです。この表現ももう古いですかね。最近あまり聞かない)。

 因みに、現在の体重は75kgです。身長は174cmなのでうーん、ぽっちゃり+といったところでしょうか。職場の近くのジムに上司(アラフィフ)とこの夏から通っていますが、殆ど効果がありません。というのも、上司があまりもう体が動かないので、のんびりベルトコンベアーみたいなやつの上で歩いているだけだからです。自分は走りたいのですが、走ると上司から裏切者!と怒られるので、上司に合わせて歩いています。まあ、田舎のジムなので、会費も全然大したことないのでいいんですが(流石にエニタイムやゴールドジムみたいな会費の高いところならば、迷わず上司をおいて走ります)。上司は膝の調子がいいと上機嫌です。

 さて、この炊飯器ですがもともと二万五千円くらいします。ですが、先日アマゾンで見てみると一万五千円くらいに値下がりしています。しかも、今なら5%引きです。送料も無料!!ということで、購入してしまいました。以前IKKOさんが出ている番組で取りあげられていたので存在は知っていましたが高いなと思って手を出しませんでした。

 この糖質カット33%の威力、本当に楽しみです。念のため、現在の体重をもう一度書いておきます【75kg】です。しばらく、この炊飯器でご飯を食べて、体重を記録してみたいと思います。三か月くらいで、5kg痩せてくれたらうれしいなあ。今履いているスラックスはもはやギリギリで、これ以上太ったら買い替えの危機です。糖質カット炊飯器について、続報をお待ちください。

 

 

新潮社大丈夫か。

 新潮社が変なキャンペーンを始めたようです。百田尚樹の作品を褒めるツイートをしたら図書カードをあげるというものだそうで。百田氏が新潮社から本を出していたことが驚きですが(氏は幻冬舎専属だと勝手に思っていた)、やっぱりしでかしましたね。

 でも、氏に書かせると本が売れるのでしょう。幻冬舎から出た百田尚樹著『日本国紀』は話題になりました。売れたのだと思います。新潮社もその勢いに乗ろうという事なのでしょうが、このキャンペーンなんかは前澤社長や青汁王子と変わらないやり口ではありませんか。極めて下品です。まして、本について良い口コミを金で釣るなど言語道断です。たとえ、冗談めかしたキャンペーンであってもです。

 何部売るとか喧伝する出版社は幻冬舎だけで結構です。新潮社は、ちゃんとしてほしいものです。こんなキャンペーンを出すほどに出版業界が苦しいのかもしれませんが、これは書籍文化の破壊です。みんながお金に釣られて、出される本に対して良い評判しか言わなくなったらどうなりますか。作家は堕落するでしょうし、読者は出版される本を信用しなくなります。ますます本は売れなくなるでしょう。こんなのは悪循環の入り口です。即刻中止してもらいたいと思います。

 新潮社がここまで追い込まれているということがはっきり見えたキャンペーンでした。以前にも新潮社は雑誌の企画でLGBTに関する記事でやらかしています。過激なことを言って注目させる手法でしたが、大失敗に終わったことは記憶に新しいところです。今回も、流行に乗ったつもりが大失敗です。失策続きです。だれかこのキャンペーンを止める人は社内に居なかったのでしょうか。誰にも相談なしに行われたのでしょうか。分かりませんが。

 今の新潮社に、ちゃんと本のことが分かっている人はいるのかどうか。売れれば良いという昨今の風潮に毒されていないでしょうか。そこらへんの出版社とは違うのですから、文化の担い手として誇りを持ってもらいたいです。こんな安っぽいことはやめてくれ!

 ただ、出版社を苦しめているのは読者の側の責任でもあります。もう、読者側にこれまでのような重厚な内容を理解できるだけの学力とそれに向かい合う時間がないということです。幻冬舎の箕輪氏の記事にこんなことが書かれています。以下、引用。

「今までの、いわゆる「本」を見ていると、世の中とズレてどんどん非日常的になっているように思いますね。スマホで読む記事は、さっと読めるでしょう。僕らはそれに馴染んでいる。相変わらず、世の中の多くの本は文字数が多すぎるし、一文が長い。それに普段使わない言葉を使っている。編集者や著者は、それが本の権威だというかもしれないけれど、若い人からすると、時間がかかって読みにくいだけです。なので僕はブログのようにリズミカルに読めることを意識しています。『死ぬこと以外かすり傷』のエッセイは1本、1分くらいで読める。YouTubeと同じ感覚ですね。もう、1つのコンテンツで人を拘束させられるほど、世の中は遅くない。」

https://sotokoto-online.jp/555「ソトコト」(閲覧2019/10/05)

 こんな調子で、どんどん読みやすい方、分かりやすい方へ流れていきます。読者が一目で分かる内容、さらに気持ちよくなれる内容へということになります。確かに箕輪氏の言う通り、世の中のスピード感は早いです。でも、内容がスカスカのものを早く読んだって、お金とそのわずかの時間さえ無駄です。こんな本は、本を読んだぞという達成感と、気持ちよくなった高揚感があるので、何か得した気になりますが、何も変わりません。

 内容を保持しつつ、スマホに勝てる本を目指さないといけないのですが、音が出て画像が動いてするスマホに対し、本という殆ど文字列だけの媒体が勝つのは容易ではありません。

若い人の詐欺

headlines.yahoo.co.jp

最近書く記事は暗い記事が多いので良くないのですが、今日も嫌なニュースです。佐賀県内で高校生が高齢者に詐欺を働いたとのことです。関西では同志社の学生などが詐欺をしたことでニュースになったばかりです。

 このニュースを読みますと、動機は「金が必要だった」とのこと。はて?高校生のうちにそんな金が必要なのだろうか。欲しいではなく必要だと。どういうことでしょうかね。身近に高校生がいないので彼らが何に金を使っているのか分かりませんが。遊び金なのか、生活費なのかはニュースからは分かりません。

 このニュースにも書かれていますが、都市部だけでなく田舎の若者にもこういった詐欺が広がりつつあるとのことです。まじめにバイトしたって大した金にはならないということで詐欺をするのですかね。

 お金をだまし取られた人の無念などは全く考えないというか、そういった発想がそもそもこの子にはないのかもしれません。世間の風潮も良くないと思います。真面目に働くのはバカだとか非生産的とかユーチューブで流れたりして煽られることも一つの要因かもしれません。

 それにしても、詐欺なんて末端の要員は真っ先に逮捕されるなんてことは少し考えたらわかるような気がするのですが、繰り返されています。その辺すら想像できない人が、奪われた側の気持ちなんて分かるはずもありませんが。

 詐欺は若者だけの犯罪ではありませんが、最近の若者のこの金銭欲はどこから来ているのでしょうか?ここを解明しないと、一向に若者の詐欺は減らないような気がします。他人の気持ちが考えられない人が少なからずいるわけで、そういう人が金銭欲にまみれれば、こういうことに手を染めるのは簡単でしょう。詐欺の仕事が斡旋されれば、何も考えずお金に突進していくのですから。

人ごみでわざとぶつかっていく人

headlines.yahoo.co.jp

anond.hatelabo.jp

 

先日、駅で女性に体当たりしてけがをさせた人がつかまりました。以前から、わざとぶつかってくる人がいるらしいということは知っていましたし、兵庫県の三宮でぶつかられた人がホームから線路に落ちたとかのニュースも以前ありました。

 この人はたまたま捕まりましたが、ほかにも多くのわざとぶつかってくる人がいるのでしょう。こういうニュースが流れると、ぶつかる人は減るのかと思いきや、続々と同じようなことで捕まる人がでてくる(笑)視聴率が取れるということで、マスコミが大々的に取り上げるから、いままでだとニュースにならなかった人まで出てくるのかもしれませんが。

 いやーアホな人もいたもんだなと思ってスルーすることもできるのですが、なかなかこういう問題は根深いのでしょうね。歩きスマホに腹が立ったと、この捕まった人は言っています。確かに歩きスマホは邪魔です。自分も大阪に住んでいたころ、駅で邪魔だなあと思ったことは一度や二度ではありません。

 でも、私は腹は立ってもぶつかってやろうと思ったことはありません。わざとぶつかる人はなぜこんなことをしてしまうのでしょうか。これまで何人かわざとぶつかる人をニュースで見ましたが、皆おじさんたちです。日頃のストレスが溜まっているのでしょうか(ストレスが溜まっているのはおじさんだけではありませんが)。たぶん、このようなおじさんの脳内はこんな感じでは?

 

歩きスマホはマナー違反→マナー違反する奴は少々痛い目を見ても問題ない→ぶつかってやれ。向こうが悪いんだ(ついでに日頃のストレス発散もしよう)。

 

 口で注意すればよいのに、それはしないわけです。口頭での注意だと反撃される可能性があってそれは怖いから、いきなりぶつかって反撃できないようにしているのではないかと思います。まあこういうことをやってしまうおじさんは、普段からうだつがあがらない感じなのか、何か(金・ノルマなど)に追いかけまわされてイライラしている人なのででしょう。

 少なくとも、現状で人生がうまくいっている人がやることではありません。常にイライラしてそれを自分で解決できないから、はけ口を探している。ストレス社会が生んだモンスターおじさんですね。

 ぶつかった後はスカッとするんでしょうか?罰してやったとか思うんでしょうか?俺はすごいんだ、力があるんだと確認したいのですかね。幼稚なままおじさんになった人は見てられません。嫌な朝のニュースでした。

 

 

 

 

潔癖病(銭湯にて)

みなさんは三連休をいかがお過ごしでしょうか。自分は、初日(土曜日)に近所の健康ランド(スーパー銭湯に近いが宿泊もできる)に行ってきました。さすがに三連休の初日なだけあって、大混雑でした。運が良いのか悪いのか、キャンペーンをやっていて半額で入館できました。それもあって混雑が一層激しかったのかもしれません。休憩の為に、部屋を取ろうと思ったのですが満室で取れませんでした。

 さて、銭湯ですがやはり大きな湯舟は気持ちが良いですね。海沿いの健康ランドなので、海も見えました(但し、台風が近かったので荒れ模様)。天気が良ければ素晴らしい眺めになるのでしょう。湯舟は様々な温度・効能で六種類ほど、露天もありサウナも三種類ありました。古い建物ですが清掃は行き届いており、不快なことはないでしょう(普通の人は)。

 が、私は実は大変な潔癖症なのです。今回は友人に誘われたのでやむなくこういった施設に行ったのですが、本当はうーんと思っていました。どれくらい潔癖かというと、電車のつり革が持てないくらいのものです。多分、潔癖業界(んなもんあるか)では低レベルだと思いますが、例えば今回ですと銭湯の脱衣所に敷いてあるタオルは踏みたくないわけです。家に帰ったらさっそく風呂に入りました。こうなると何のための銭湯か分かりません。知らない人と同じ風呂に入るのも正直気分が良いわけではありません。お前の体がなんぼのもんじゃとおしかりを受けるかもしれませんが、嫌なものは嫌なのです。

 さらにさらに、今回の健康ランドは靴を下駄箱に預けた後は、スリッパがなく裸足で館内を歩くスタイルでした。これ衛生面は大丈夫なのかと思っていましたが、友人は涼しい顔です。むむむ・・・。決定的だったのは、おばさんがキャリーケースを館内で引いていたことでした。みんなが裸足で歩く場所なのに、キャリーケースを引いている・・・そのキャリーケースは、地べたを引いてきたんではないのか。もっといえば、出先ならトイレとかに引いて入るよね。と思うと耐え難いものでした。

 全く気にしない人は気にしないでしょうし、私のように潔癖症の人間は気にするポイントだと思います。いやーしんどかった。気にしない人になりたいです・・・

 最近気になっているのは、カバンを机の上に置く人です。カバンは地べたに置くこともあります。机の上には置かないでほしいです。下足で椅子に乗る人もやめてほしいです。ああいう人たちの地べたへの考え方ってどうなっているんでしょうか。カバンはどうか知りませんが、下足で椅子に乗ったりするのは外国人に多い気がします。日本人も真似をしているんでしょうかね。こういう点は真似をしないでほしいところです。

 

メアリーエインズワースコレクション(浮世絵) in大阪市立美術館

今月の二十九日まで大阪市立美術館で開催される、メアリーエインズワースコレクションへ行ってきました。平日の朝だったからか、空いていて快適でした。

 前回大阪で浮世絵を見たのは、ハルカス美術館の北斎展でした。あれは本当に人ごみがひどくて落ち着いて見られたものではありません。北斎の作品は素晴らしいものでしたが、展示場のキャパと人が釣り合っておらず、最悪でした。まあ、ハルカス美術館は民間の美術館ですから、人が入れば入るほど儲かるのでそれで良いのかもしれませんが。

 今回の浮世絵展は本当に落ち着いて見られました。北斎や写楽の絵をほぼ一人で見ることができたので、大満足です。エインズワースはアメリカの浮世絵コレクターで、初期の作品から後期の作品まで揃えており、うまく整理をすれば浮世絵の歴史的変遷がわかるので、貴重なんだそうです。

 今回の展示も、歴史的変遷が分かるように配置されており、初期の菱川師宣から中後期の歌麿・北斎まで一覧できるようになっていました(勿論ほかの浮世絵師の作品もたくさん展示されています)。教科書やネットでしか見たことがない作品が目の前にあると、なんとも不思議な気持ちになってしまいます。各作品の鑑賞ポイントだけでなく、浮世絵の構成の約束事なども教えてくれる展示となっており、とても楽しかったです。図録(2000円くらい)も買ってしまいました。重かったです(笑) 不勉強ながら、自分が今まで知らなかった浮世絵師のことも知ることができました。奥村政信ってご存じですか?私はこの展覧会に行くまで知らなかったのですが、大変な創意工夫の人です。詳しくは展示場で見てみてください(浮世絵の歴史上では初中期の人です)。

 展示場は薄暗くなっており、お客さんのおばちゃんがずいぶん薄暗い展示だねと言っていましたが、これは色の退色を防ぐためであろうと思われます。作品によっては既に退色が進んでしまっているものもあり(図録による)、扱いに慎重さが必要なものもあるようです。

 今回の展示の最後の方に、北斎の作品がまとめて展示されているコーナーがあります。抜けるような青が印象的でした。所謂、「北斎ブルー」というやつですね。これほど間近に、しかもゆっくりと贅沢に北斎の作品をみたことがなかったので、感激です。浮世絵を見終わったら、外のてんしばでゆっくりするのもいいですね。カフェもあります。 

 みなさんも、お時間があればぜひ大阪市立美術館で、浮世絵を見てみてください。きっと良い一日になりますよ!

 

新幹線の座席番号

みなさんは、出張などは頻繁にありますでしょうか。自分は月に一回は関西と関東に主張があるため、新幹線に乗る機会は割とあります。EX予約を利用しているので、スマホから座席を取ります。いまだにみどりの窓口に並ぶ方々はスマホの電源が切れているのでしょうか。もしくは、めったに新幹線に乗らないから、EX予約が割高になるのでしょうか(EX予約は年会費が1000円かかります)。

 割と新幹線に乗る方ならば、指定席料が無料になるので、EX予約を絶対におすすめします。自分はここ何年も自由席に乗っていません。割り増し運賃がかからないからです。

 それはさておき、EXカードを改札にかざすと座席票が発行されるのですが、「12号車5A」などと座席指示が出ます。本当にしょうもないことなのですが、新幹線の前後どちらのドアから入ると、5番の座席が近いのかということなんです。ちょうど中間くらいの席であれば、前と後ろどちらのドアでも同じくらいの距離なのですが、5番だと後ろから乗ると遠いのです。新幹線の通路は狭いので、できるだけ車内での移動は避けたいわけです。

 今までは、入り口からの座席の近さに関しては適当に運にまかせていたのですが、これ並びがちゃんとあるんですね。以下に述べるのは、東海道新幹線の話であり他の新幹線は知りません。例えば東京から関西(西全般)に向けて出発する新幹線の場合、座席1番は進行方向で順番に123546879・・・と並びます。番号が小さい方が西を向いているわけです。

 逆に、関西から東京に向けて出発する新幹線は、・・・987654321と並んでいます。つまり、番号が大きい方が東を向いているわけです。これに先日漸く気が付きました。例外はないですよね??ちょっと自信がないですが、たぶんあっていると思います。

 このことが分かってから、新幹線車内でうろうろすることがなくなり、ほんの少しストレスがなくなりました。ストレスというと大げさですが、自分は新幹線をはじめ電車、バスなど乗り物全般が大嫌いなので、こういったことでもうれしいのです。

作業用BGM(lo-fi hiphop)

 

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皆さんはPC作業中に音楽は聞きますか?自分は相当細かい作業をするとき以外は、音楽を流しています。これまでの膨大な作業時間の中で、JPOPから洋楽、クラシックや民族音楽みたいなものも色々流してみました。学生の頃よりも、今の方が音楽を聴いているような気がします。自分の職場はやることをやっていれば、音楽を聴いていてもOKなので、ありがたいです。音楽なしで作業するのは本当に苦しいので。

 さて、音楽はだいたいyoutubeで聴くことが多いのですが、最近  lo-fi hiphop なるジャンルがあることを知りました。すでに、何人かのアーティストがいるらしく(専門的にやっている人なのか趣味でやっているのかは不明)、複数の動画がアップされています。このジャンルはゆったりとした音楽がずっとループするというものです。最初はすぐに飽きてくるかなと思ったのですが、飽きません。作業や部屋のBGMに最適です。

 ライブ配信している人もいますし、動画をアップするだけの人もいるようです。音楽の質も大変良いのですが、流れている動画もまたいい感じです。かわいいキャラクターのものもあれば、昔のアニメを切り取って動かしているものもあったりと多彩です。一番上のスクショは kudasai という名前のアーティストの動画です。なんかいい感じじゃありませんか?自分はこういう動画が結構好きなので、はまっています。

 lofi-hiphopという単語をyoutubeで検索すれば、大量の音楽がヒットしますが、きっとどれを聴こうか迷ってしまうと思います。自分としてはどれを聴いても良いとは思うのですが(ハズレは無いと思います)、なんといってもイチオシはこの記事の一番上に貼り付けた kudasai さんの音楽です。何本か動画をアップされています。ぜひ聴いてみてください。URLを貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=T9qVyDbnF3I&list=RDOWK8LHIKPTo&index=2

 なお、このジャンルの音楽のことを詳しく知りたい方は、以下のブログに詳しく解説されているので、読んでみてください。こうしている間にも、 lo-fi hiphop の動画が流れています。

「さよならスキーマ」https://goodbyschema.hatenablog.com/entry/lofi-hiphop_toha

本(古典籍・テキストデータ含む)が見られるサイト一覧

 かつては、書籍を閲覧するには図書館に行くしかなかったわけですが、最近では書籍の電子化がかなり進んでいます(しかもカラー)。そのような中で、無料で大量の書籍を公開しているサイトがいくつかあるので、紹介したいと思います。これは自分の備忘録のためでもあります。

 自分は文学部を出ているので、崩し字(むかしのぐにゃぐにゃした字)が少しだけ読めます。なので、古典籍を見られるサイトを眺めては読んでみたりしています。手軽に古典籍の原本がみられるようになってありがたいです。そういった楽しみ方もできます。

 

・青空文庫

 https://www.aozora.gr.jp/

・国立国会図書館デジタルコレクション

 http://dl.ndl.go.jp/

・京都大学貴重図書デジタルアーカイブ(京都大学電子図書館)

 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/

・東京大学史料編纂所データベース

 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/

・早稲田大学古典籍総合データベース

 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/

・新日本古典籍総合データベース

 https://kotenseki.nijl.ac.jp/

・日本古写経データベース

 http://www.icabs.ac.jp/news/koshakyo/post-2052

・大英図書館東アジアコレクション

https://www.bl.uk/subjects/east-asia

・エール大学バイネッケ希少本&写本図書館デジタル

 http://current.ndl.go.jp/node/9892

・kindle

 

・japanknowledge

 

・大正新修大蔵経テキストデータベース(SAT)

 http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

 

他に良いサイトがあれば教えてください。気づき次第、追加していく予定です。 

 

ツール

 ・源氏物語の世界(Sai-net)

 

・少納言(KOTONOHA現代日本語書き言葉均衡コーパス)

 

・中納言(コーパス検索アプリケーション)

 

・国会会議録・帝国議会会議録データベース

 

・木簡字典・電子くずし字字典

 

・寒泉

 

・中央研究院漢籍電子文献(漢籍電子文献資料庫)

 

・文淵閣四庫書データベース(有料)

 

・中国基本古籍庫(有料)

 

SNSで力を持ったと勘違いしている人たち

ハンドメイドで作品を作っている人に、好感度を上げたければ無料で品をよこせという人。事業主から返信がこないと怒っている。

https://twitter.com/oboro_kurage/status/1164354400191578112

 

マスクをしていた人がマナーが悪いと言って、マスクの製造元にクレームを言う人。コメントにもあるように、殺人が起こったら包丁メーカーに文句を言うのだろうか?

https://twitter.com/halloween_96/status/1164144548785741825

 

 最近、ネットで話題になっているツイートがありました。炎上という言葉が聞かれるようになって久しいですが、自分が気に入らないものに対して炎上させるぞといって脅す人もいるようです(大概がイチャモンレベルで話にもならないようなものばかりでしょうが)。

 SNSがない時代では、クレーマーは気に入らないことがあっても電話でしょうもないクレームを会社の窓口に入れてそれで終わるしかなかったのですが、ツイッターがあれば外部に向けて、あることないこと発信できるようになりました。上記二つの記事ともに、いちゃもんを付けている人の考え方はどう考えても頭おかしいというレベルです。

 こんな人たちでもツイッターを使えば、少数でも賛同する意見が集まるので、力を持ったと錯覚してしまうのですね(また、クレームを言われた側も反応してしまう)。こういうクレーマーたちにとっては、企業側が自分たちの勝手なわがままを聞いてくれやすくなったので、本当に良い時代になったのかもしれません(SNS様様ですね)。今までは全くの無名で終わるしかなかった人が事業主などに直接物申すことができる。よく言われるネットユーザーの万能感というやつです。

 もはや、こういう人たちは誰かにたかることや、文句を言うことが目的になっているので、自分のおかしさには気づけないのでしょう。他人の利益や思いなどは全く無視で自分が気持ちよければいい、自分が得すればいいというもので、全く共感できません。いいがかりのクレームをツイッターで発信するなんて、自分は絶対に恥ずかしくてできませんが(そもそもSNSやってませんけど)、まったく問題がないと思っているから平気なのでしょう。

 昔からこういう人たちはいたのでしょうが、SNSによってそれが見えやすくなっているのかもしれません。クレーマーが増えたとは考えたくありませんが、分かりません。。図々しい人にはなりたくないし、意図せず図々しい行為をしないように気を付けたいものです。

 

 

方言の認識は変わる

 昨日、夏の甲子園が終わりました。わが地元大阪の高校が優勝を決めました。何試合かはテレビで見ていました。自分は試合だけでなく、監督さんのインタビューを聞くのも割と好きです。話す内容にも興味がありますが、監督さんの方言を聞くのも楽しいです(マニアックですかね?笑)。あまり方言で話さない方もいるのですが、今大会でいえば、明石商業高校の監督さんは関西の言葉で話されていました。

 さて、いまでこそ方言は地域の文化財であり、守っていくものという考えが確立していますが、かつてはそうではなかったようです。このあたりのことをちょっと調べてみましたので、少し前の方言の認識を追ってみたいと思います。

  まずは、旧文部省の見解から。

 

・1954『国語審議会標準語部会報告 第二部これからの日本語 六、話しことばについて』

 「方言とは別途に標準語的発音を普及することが望ましい。」

・1993『第十九期国語審議会 現代の国語をめぐる諸問題について』

 「共通語とともに方言も尊重することが望まれる。」

・1995『第二○期国語審議会報告 新しい時代に応じた国語政策について 方言の尊重のための方策』

 「共通語と方言の共存を図りつつ、(適切な指導がなされているところであるが、今後も、学校、家庭、地域社会がこのような認識の下に)さらに方言に親しむための工夫をすることが望ましい。」

・2004『文化審議会答申 これからの時代に求められる国語力について』

 「地域での意思疎通の円滑化と地域文化の特色の維持のためには、方言についても十分にそんちょうされることが望まれる。」

 

 旧文科省の見解としては、方言以外に標準語を身に着けさせようとする姿勢が見受けられますね。次に、新聞記事を見てみましょう。

 

・『読売新聞』(1959 7/12)

 「読売教育賞に輝く業績 テレビ教育 方言減り学力向上」

 ・『毎日新聞』(1959 10/2)

 「方言なおしにひと役 テープで「声の交換」品川区大間窪小 秋田のお友達のため」

・『毎日新聞』(1960 7/14)

 「山形で母親が標準語運動消える粗雑な「方言」二重の言葉づかいから子供を解放」

・『読売新聞』(1965 4/13)

 「レコードで正しい日本語のしつけ 児童向けに楽しく ビクターから発売 方言の矯正も付く」

 

 1950年代から60年代にかけては、新聞の記事を見る限り、方言を矯正すべきものとしてとらえられていることが分かります。方言は日本の文化そのものであるというのは、現代の目から見れば常識ですが、方言をなくすべしという恐ろしい記事が新聞に堂々と掲載されていたことになります。

 また、井上ひさしさんは次のようなことを書いています。

 

 始業式の朝、クラス全員に罰札というものが配られ、教師が「これからは学校内で汚い米沢弁をつかってはいけない」と告げた。「もし、友だちが米沢弁を使っているのを聞いたら、その友だちの首にこの罰札をさげよう。罰札をさげられた者は、終業式まで首にさげっぱなしにしておくこと。ただしほかの友だちが方言を使うのを聞いたら、そのときは『あ、聞いたぞ』といって、罰札をその友だちの首へうつしてよい」

井上ひさし(1981)『聖母の道化師』中央公論社

 

 学校現場では教師も上のような指導をしており、国家主導のもと方言矯正をしていたことが分かります。これも、とんでもない指導ですが、現代の文化水準から当時を批判することは易いわけで、当時の社会のありかたや当時の認識には、相応の制限があったでしょうから、これをもって当時の社会はけしからんとか、遅れているとかいったのでは、生産的ではありませんね。

 方言と共通語に関しては、批判的な意見だけでなく、「方言」も大事だという投書などは1960年代にははやくも登場するようです。

 

・『朝日新聞』(1966 3/1)

 「共通語話し方言も使う」

・『朝日新聞』(1984 6/23)

 「討論コーナー 方言と共通語 三 言語の二機能どちらも必要」

・『毎日新聞』(1996 11/16)

 「共通語+方言が話せる社会の柔軟さがほしい」

 

 一方で、方言に対するコンプレックスは、新聞記事から読み取るに1970年代頃まではかなり色濃く、1950年代の記事には次のようなものがある。

 

・『朝日新聞』(1957 5/28)

 「東京人よ、方言を笑うな」

・『東京新聞』(1957 7/21)

 「聞きづらい地方ナマリ」

 

 お互いに水掛け論のような記事が出ています。高度経済成長期の1960年代も同様に方言コンプレックスに関する記事は多いわけですが、特に年度替わりに方言関連の記事が増加する点は興味深いです。おそらくこの変わり目に地方から都市部へ人が流入し、方言が意思疎通の問題になるためでしょう。

 これらの議論は今の観点から見れば微笑ましいような気がしてきますが、当時は今とは全く異なる状況であったことが次の記事で知られます。

 

・『毎日新聞』(1964 5/13)

 「少年工員が同僚殺す 集団就職 方言笑われ、不仲」

・『読売新聞』(1965 8/27)

 「方言をからかわれ、兄の婚約者絞殺 カッとなった予備校生」

・『東京新聞』(1968 4/13)

 「はかなし「東京の夢」「脱走」相つぐ就職少年 方言ノイローゼから」

・『産経新聞』(1962 4/12)

 「方言から起こる劣等感」

・『毎日新聞』(1966 5/20)

 「「お国なまり」を笑わないで」

・『西日本新聞』(1972 1/16)

 「「方言が恥ずかしい」友達できず老夫婦自殺 八幡」

・『朝日新聞』(1977 6/1)

 「方言CMの笑いにひそむ地方人侮辱」

・『朝日新聞』(1996 1/31)

 「高校生「方言ばかにされた」熊本VS和歌山 寝込み遅い殴るける・・・スキー旅行、長野のホテル」

 

 このような記事を見ると、とうてい今の「月曜から夜更かしの方言コーナー」の方言をいじるような遊びの感覚で済ませてよいものではなかったことが分かります。かなり深刻だったようです。

 以上、甲子園の監督さんの方言から全然違う方向へ話が進んだ記事でした。

 

[参考文献]

・田中ゆかり(2011)『方言コスプレの時代』岩波書店

・森岡健二(1972)「現代の言語生活」佐藤喜代治編『文体史・言語生活史』(講座国語史6)大修館書店

 

トゥルースリーパーと私の腰

先日購入したトゥルースリーパー(マットレス)が、昨日届きました。真っ白なマットでフワフワです。触り心地は良いです。

 で、早速一晩使ってみました。その結果ですが・・・めちゃくちゃ腰が重いです。驚くほどの重さです。ついでに寝違えました。めちゃくちゃテンション下がります。之を書いている今も首が痛いです。お盆明けでやる気がないのに、さらにやる気がなくなりました。要するに、トゥルースリーパーは自分には柔らかすぎたということです。元々、固めのマットレスが好きだったのですが、うちの弟が大絶賛していたので、ならばと思い買ってみたわけです。これは、柔らかめのマットレスが嫌いな人には絶対に合わないと思います。低反発系のものが駄目な人は多分全員駄目です。。トゥルースリーパー枕買わなくてよかった。この調子だと、枕もきっと合わなかったでしょうから。返品もOKで助かりました。ですが、こちら側の都合による返品なので、送料はこちら持ちです。チクショウ・・・寝てみないと分からないよ。トホホ。

 自分は腰痛持ちなので、何かいいマットレスはないものか探しています。放浪の旅は続きます。アマゾンなどで、トゥルースリーパーのレビューを見ていると、殆どは良い評価なのですが、悪い評価を見てみると「腰痛が悪化した」「熱がこもって暑い」「寝返りが打ちにくく、寝違えた」「柔らかいのが嫌いな人には向かない」などのレビューがありました。これらを先に見ておけば良かった。。。それにしても、トゥルースリーパーはモチモチです。柔らかめ好きの人にはたまらない一品でしょう。

 さて、来週の整体が楽しみだなあ(泣)。

 

イヌイットの言葉から命名についてちょっとだけ考えてみた

お盆がついにあけまして、通常通りの日常が帰ってきました。何事もなく、平和に過ごせたことに感謝です。通常通りとはいっても自分は有休を取得して、たぶん皆さんよりも多く休んだので、その分仕事をするのがしんどいです。ハイ。まあ自業自得ですね。仕事頑張ります・・・

 さて、標題にありますとおり、イヌイットの言葉についての本を最近読みました。宮岡伯人さんの『語とは何か』という本です。この本は、北米の言語の専門家である宮岡さんが、イヌイットの言葉などを参考にしつつ、日本語の「語」について考察したものです。正直に言って、専門外の人間には難しすぎて分からないところも多々あったのですが、全体として面白く読みました。自分の読書お盆がついにあけまして、通常通りの日常が帰ってきました。何事もなく、平和に過ごせたことに感謝です。通常通りとはいっても自分は有休を取得して、たぶん皆さんよりも多く休んだので、その分仕事をするのがしんどいです。ハイ。まあ自業自得ですね。仕事頑張ります・・・

 さて、標題にありますとおり、イヌイットの言葉についての本を最近読みました。宮岡伯人さんの『語とは何か』(三省堂)という本です。この本は、北米の言語の専門家である宮岡さんが、イヌイットの言葉などを参考にしつつ、日本語の「語」について考察したものです。正直に言って、専門外の人間には難しすぎて分からないところも多々あったのですが、全体として面白く読みました。自分の読書態度は100%内容が分からなくてもいいので、何かを得ようというものなので、これでいいのです。以下には、特に興味深かった雪の名前について解説されている箇所を宮岡氏の著書から引用します。

(引用はじめ)

「カニック、アニユ、アプット、プカック、ベシュトック、アウベック」とあり、カニックは降っている雪、切片としての意味です。アニユは飲料水をつくるための雪、アプットは積もっている雪、プカックはきめ細かな雪、ベシュトックは吹雪、アウベックはイグルーをつくるための切りだした雪です。これは、初めに「ユキ」があって、それを細分化しているのではなく、初めから別個に分かれています。つまり、互いに音声の類似がないことからわかるように、(細雪、どか雪、粉雪といったように、雪に形容をつけて二次的に細分化しているのでなく)それぞれまったく別物としてとらえられた、最初からの類別化・範疇化なのです。しかも、これはかぎられたエスキモーにとっての専門用語といったものではありません。つまり、それらの個々の範疇は、(飲料水をとるもの、イグルーをつくるものといった)生活上の基本的な行動様式、それと結びついた道具、技術などが切り離しがたく結びついた、エスキモーにとっては日常的な基礎語彙だということを忘れてはなりません。  

(引用おわり)

 物の名前は、その語が生じた社会のありようや、それを観察した人間の物の見方を如実に示しているわけですね。上の文章にあるように、雪について、エスキモー語の話者と日本人とでは、雪の分類のバリエーションだけでなく、そもそもとらえ方が違うということが分かります。寒い地域の人々の暮らしに雪がいかに深く食い込んでいるかが分かります。

 国が違えば、同じものを指す場合でも着目点が異なっていることもおもしろいですね。他にも、日本でサルスベリのことを、中国では百日紅といいます。日本では木肌に注目したのに対し、中国では咲く花に注目したのですね。このような点にも、日本と外国の意識の違いが伺えます。虹の種類なんかも国によって、何色か違うというのも有名な話です。

 色だけでなく、様々な事物の分け方の違いは言語に現れますが、それは話者の世界観に直結しているのかもしれません。

 

[参考文献]

宮岡伯人(2002)『語とは何か―エスキモー語から日本語を見る―』三省堂

 

 

アラサーの語源

最近はあまり聞かなくなりましたが(既に死語になりつつある・・・?)、アラサーという言葉がありますね。ほかに、アラなんとかを頭につけて、アラフォーやアラフィフなどもあります(アラ還はちょっと座りが悪い)。このアラサーという言葉について、皆さんはどんな印象を受けますか?自分の印象を正直に申しますと、中年の入り口に立つ年齢とか、責任を持たないといけなくなる年齢などというものでした。どちらかというと、マイナスや重圧などの感じがするイメージです(重圧はちょっとおおげさかも)。

 さて、この言葉はいつごろ出現したのでしょうか。お盆休みがひまだったので、あれこれ調べてみました(ちょっとは夏らしいことをしろよ)。

 アラサーは皆さんご存じの通り、アラウンドサーティーの略です。この言葉は女性誌の『GISELe』(ジセル)が2005年の創刊時に対象読者層を名付けて「アラサー」としたことに始まるそうです。はじめは三十歳前後の女性を指していましたが、後に男性も指すようになります。

 過去の混乱期ならばいざ知らず、現代社会においては長生きする人は100歳を超える時代になりました。そのような高齢の人が当たり前に存在する社会の中で、なぜ30歳前後が注目され、それを指す言葉が出現したのでしょう。30歳前後が人生の一区切りとみなされている現代社会だからこそ、この「アラサー」なる言葉は生み出されたと考えると良いのではないでしょうか。もっと寿命が短い時代ならば、30歳よりももっと若い年齢で人生の一区切りがくるはずです。今の寿命の感じだと、30歳前後に区切りがくるということなのだと思います。

 さて、次の文章にもあるように、女性に迷いが生じやすい年代は今だけでなく、少し前でも30歳前後だったようです。ちょっと古い文章ですが引用します。

 

「私も入行以来十八年間、いつの間にか三十六歳になってしまった。(中略)銀行の女子にとって、ベテランとは恥辱でしかない世界である。」

『婦人公論』(1975)

「夫の反対はあるが、子育てもひと段落した今、再度働きたい、社会に出たい。」

『サンデー毎日』(1964)

「子どもは欲しいが、一人でいることの自由や仕事を優先したいと考えたり」

『女性セブン』(1978)

 

 ただ、今はどうでしょうか。「アラサー」という言葉がうまれて約十五年が経ちましたが(上述の通りアラサーという言葉は2005年誕生)、「アラサー」のイメージはどうなっているでしょう。『GISELe』の編集長は読者の「アラサー」の女性について「雰囲気としてはケイト・モスのようなさりげなおしゃれのイメージ」と語っている。

 つまり、アラサーという言葉は出発点としては、おしゃれで仕事ができそうな30歳前後の女性を指すというものであって、プラスのイメージをもっていたということになります(少なくとも考案者の中では)。いつの間にかマイナスイメージにも使われるようになっていき、ついには死語に近づきつつあるという言葉なのですね。

 

[参考文献]

井上俊・永井良和(2016)『今どきコトバ事情』ミネルヴァ書房

 

印刷が始まる前の技術についてまとめてみました

皆さん、印刷が始まるのはいつごろかご存じですか?なんとなく、西洋から輸入されたんじゃないのとか思っていませんか?違います。しかも、東洋と西洋とでは、印刷の成立時期も違います。

 などと偉そうに言っておきながら、自分も仕事のために調べるまで知りませんでした。西洋から輸入されたんじゃないの?というのも実は、以前の自分の思い込みです。同志はいませんか??

 今回は印刷が始まる前の、「印刷のようなもの」を人類がどこまで開発していたのかをまとめたいと思います。せっかく調べたので(^^)/

 印刷を例えば、「版面を媒介として紙その他の物質上に、文字・記号・図形などを全く同じように複製する技術・行為」と広めに定義した場合、どこまで遡れるかということですが、この定義であれば、なんと印刷は紀元前4000年~5000年まで遡れます。

 

・押印(おういん)法

 エジプト、メソポタミアで行われたとされるものです。要するに判子です。物品の所有、詔勅・法令・布告の類にそれが正当であることを証明することなどに用いられました。下っては貨幣にも押印されます。日本の小判にも押印がありますよね!

 エジプトでは紀元前5000年頃から、ヒッタイト人も紀元前1800年頃から用いました。ペルシャ(現イラン)、ローマ、中国でもこれが古くから行われています。

 

・捺染(なっせん)法

 この方法は、古くインド・中国・ペルシャで見られます。特にインドでは、唐草模様を板に彫って、いろいろな色彩を用います。要するに染物ですね。模様は大量生産できても、文字や複雑な絵は複製できないのは言うまでもありません。染物を印刷といってよいか微妙かもしれませんが。でもプリントTなどという言い方もありますから、プリント=印刷ということでOKなのかもしれませn。

 

・摺拓(しゅうたく)法

 紙や筆、墨、インクが無かったころ、書写の道具に石が用いられたのは洋の東西を問いません。石文(石に刻まれた文字)の古い資料としてはエジプトの「センド石文」というのがあります。これは今から6000年まえのものだそう。また、中国には「石鼓文」があり、2700年から2800年前のものだそうで、こちらも古いですね。

 摺拓法とはこの石文に湿らせた紙を貼り付け、綿で押さえ、生乾きになったら、ポンポンに墨を付けて、紙面を叩く。すると、文字が白抜きになって同じ文面を取ることが出来ます。要は拓本の要領ですね。この方法は、千年以上中国で行われて、日本にも古くに伝わっています。

 

 以上、印刷の一歩手前の技術をまとめてみました。今、我々が普通に言うところの「印刷」に当たるものは、東洋では7世紀の終わり、西洋では14世紀の末期に発生しました。

 

[参考]

庄司浅水(1973:増補二刷)『印刷文化史』印刷学会出版部