適当日記

日常の瑣事を書いています。

卒論を書くことについて

 卒論を書いてから、数年が経ちました。いまだに、年始になると今頃卒論書いている学生は大変だなとか思ったりします。もう、四年生は卒論が終わって、卒業式が目前に控えていることと思います。懐かしい。

 さて、卒論を書くことについては、ネットを見ているといろいろな意見があるようです。一つは、卒論なんか真剣にやったって将来につながらないのだから、適当あるいはそこそこで良いというもの。例えば、以下のブログ等。 

ken-horimoto.com

fussan01.com

www.midonote.com

 

 この手のサイトは「卒論」と打てばゴロゴロ出てきます。もう一つは、折角特定の分野のプロが近くにいるのだから、積極的に卒論執筆に取り組むべきというもの。例えば、以下のブログ等。

note.mu

埼玉大学教養学部 卒業生からのひとこと」

http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~takaku/history/graduate.htm

 

 どちらの意見もなるほどそういう見方があるかという感じがします。卒論は適当で良いという人は、どうやら在学中にやりたいことを見つけており、それに集中したいから時間を取る卒論は邪魔ということになっているようです。やりたいことがあるのならば、外野がとやかく言うことではないので、どうもこうもありません。卒論適当派は多分専攻する分野に興味が薄いか、そもそもないのだろうと思いました。将来の目標が何も無い人よりも、在学中になんでも良いからやりたいことを見つけることはとても良いことだと思います。確かに、卒論適当派の人たちの言う通り、卒論に真剣に取り組んだとしても、将来が約束されるわけでもないので、今風にいえば、コスパに合わないというのも肯けます。

 その一方で、自分はややさみしいという気がしないでもありません。折角、ある分野を勉強することを目指して、四年(短大なら二年)も学んできたのだから、せめて何らかの形で自分の到達点を示しても良いのではないかと思うのです。これは、自分が専攻していた分野を愛していたから言えることなのかもしれませんが。

 とはいえ、自分が入った学部学科で学ぶ内容を愛せるかどうかは、かなり運の要素も大きいと思います。高校生の内から、どの学部学科に入るか、学ぶ内容が殆ど分からないままに決めて、入試を受け試験に合格すれば、そこに入るわけです(大学はパンフレット等を作っていますが、あんなのでは学ぶ内容は分かりっこない)。こうなると、思っていたのと違うということになる人がいてもなんら不思議ではありません。

 自分が学んでいる内容を愛せているなら、自分の四年間での到達点を示す為に卒論を真剣に書く。もし、自分が学んでいる内容を愛せないなら、指導教員の許容範囲内で手を抜くということで良いのではないでしょうか。というより、卒論はかなりしんどいので、好きでないと続きません。その分野に興味がないなら、どれだけ頑張っても真剣にはなれないと思います。今学生の人には、もし自分の専攻する分野が愛せているならば、それは、大変に幸運なことなのだから、ぜひ卒論に真剣に向かい合ってもらいたいです。

 卒論を三年生のうちに書いておくという斬新な意見のサイトもありました(笑)

www.cscd.osaka-u.ac.jp

 

 あと、こんなのも。色々ですな。

kokorozashi.hatenablog.com

news.nicovideo.jp