適当日記

日常の瑣事を書いています。

『大学教育について』J.S.ミル著 竹内一誠訳

昨日、『大学教育について』を読み終えました。この本は、1867年2月1日、セントアンドリュース大学の名誉学長にミルが就任した際の演説をまとめたものです。

 大まかな内容は、教育はなぜ必要か・文系科目の意義・理系科目の意義・道徳教育の目的・宗教教育の意義・美学、芸術教育について、となっています。全体に目配りがなされた演説であったことが分かります。本の解説にありましたが、この演説は二時間とも三時間とも言われているそうなので、聞いていた方は大変だったろうと思いますが、中身は濃密です。

 昔の演説なので、多少今の大学のあり方とはずれてしまう部分もありますが、逆に今の大学が見失っているのではないかと思われるものをズバリ指摘しているところもあるような気がします。ミルは、大学教育の目的は、熟練した法律家・医師・技術者を養成することではないと最初に述べます。これは、法学部や医学部を攻撃しているのではなく、まず教養を大事にせよと言っているのです。各学部で学ぶ専門知識・技術は教養科目で得た知識の元、運用せねばならないということです。以下、引用します。

「専門知識をもとうとする人々がその技術を知識の一分野として学ぶか、単なる商売の一手段として学ぶか、(中略)その技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、彼らがその専門技術を教えられた方法によって決まるのではなく、むしろ、彼らがどんな種類の精神をその技術の中に吹き込むかによって(中略)決定されるのです。人間は、弁護士・医師・商人・製造業者である以前に、何よりもまず人間なのです。」

 例えば、医学部は今かなり人気がありますが、それはなぜでしょうか。医師になって、多くの人を救いたい!治せない病気を治せるようになりたい!と考えている受験生も大勢いるでしょうが、名誉がほしい金がほしいという目的の元、受験する人もいるでしょう。自分はそれはそれで良いと思います。名誉欲ムンムンのひとでも腕さえ良ければ、多くの人を救えるからです。

 ただ、少数の人がそのように開き直っているのならば良いですが、みんながみんなそんな風になってしまえば、不正は続出しギスギスした社会になっていくことでしょう。技術はどのように運用されるべきかを問い続けなければ、たとえ技術そのものが素晴らしいものであったとしても、その技術で悲しむ人も出てくるかもしれません。大きな過ちを犯すことになるかもしれません。ミルの「まず人間であれ」という言葉はよく覚えておかなければいけないと思いました。

 他に、大学教育についてミルは、基礎的な知識を教えることは大学教育の目的ではなく、知識の体系化、つまり個々に独立しているように見える知識を全体に位置づけて、それまでに得た知識とつなぎ合わせて知識の地図を作り出せるようにしたいと述べます。今の日本の大学の新入生は(一部の大学を除いて)基礎的知識を欠いたまま入学しているのではないでしょうか。

 そうすると、ミルのいうような教育は実際のところかなり難しいでしょうが、それでも知識の体系化を目指すことは大事だと思いました(全体のマップをつくる)。~学部だからこれだけやっとけばいいとかはやはり狭いということなのでしょう。一般教養科目は自分も学生の頃受けましたが、正直かなり軽視していました。こういうことをもっと早くに知っておけば良かったです。自分が専門として学んだ分野以外にも面白い分野があるということに、当時は気づけませんでした。

 以上、本書の一部を簡単に紹介してきましたが、大学を出てしまった自分でも面白く読めました。大学生にもぜひ読んでもらいたい一冊です。自分は大学生のうちに読んでおきたかったです。岩波書店から600円くらいで買えますし、古本ならもっと安いかもしれません。130頁くらいなので、すぐに読めます。文章も平易です。