適当日記

日常の瑣事を書いています。

文書・記録の廃棄に思うこと

昨日、こんな記事を見た。

www.asahi.com

 要するに、裁判所が今後の判決に影響を与える可能性もある、重要な裁判記録を廃棄していたというニュースだ。こういうニュースを見ると、ずっと同じようなことが繰り返されているなと思う。このニュースとはちょっと違うけど、こんなんとか

ツタヤ図書館、ラーメン本購入し郷土資料を大量廃棄、小説『手紙』が「手紙の書き方」棚 | ビジネスジャーナル

こんなんとか

東大の絵画廃棄「理由が不明」の不気味さ | プレジデントオンライン

こんなんとか

高知県立大学が蔵書3万8000冊を焼却。譲渡や売却は考えなかったのか?図書館の担当者に聞いた - FNN.jpプライムオンライン

こんなんとか・・・

桑原武夫蔵書:遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪 - 毎日新聞

 

 上記は全部ネットニュースなので、細かい点での信憑性はどうなんだろ・・・それはともかく、大事な文書・記録・書籍・文化財の廃棄のニュースは多い(ように感じる)。報道されるようになったから多いと感じるのか、それとも昔からかなりあったことなのか。

 どうして廃棄になるんだろう。文書や記録だけでなく、書籍・美術品を含む作品等を保存することは、過去の人間の行動や考えをしかと留めておくということなのではないか。今現在につながる、人間の歴史の証明になるわけじゃないか。棄てたらそれまでだ。事情を知らない外野がガタガタぬかすなと怒られるかもしれないが、廃棄だけはなんとしても避けてほしいと思う。

 今回の記事に取り上げられた裁判所の担当者は、多分その辺のことをあまり考えず、邪魔だからとかそれくらいにしか考えなかったのだろうけれど、上のニュースにある、司書が本を廃棄しちゃいましたとはどういうことだろう。図書館の現場の声を聞いてみたい。やむをえない事情があるのかもしれない。高知県立大学の図書館のニュースではスペースの問題だったようだ。やっぱりどこも置く場所ないのか・・・

 上記ニュースに対して、本当にけしからん!という声も多い。しかしその一方で、文書・記録類の置き場所に困る・管理が大変というのも分かる。図書館が本を除籍するのも、作業が大変なのだろう。とにかく管理が大変だから、いっそのこと黙って廃棄しようということになるのかもしれない。こういう問題が起こったときに、スキャンできるだろ!という人もいるけれど、スキャンのバイトをしたことがある自分にいわせると(大学で募集があった)、とてもじゃないが全部は出来ないと思う。適当に資料をスキャナーに流し込めばハイおしまいではない。スキャンする資料の裁断、きちんとスキャンできているかのチェック(この作業が一番つらい。目が逝きそうになる)、名前付けなど相当な手間とお金がかかる。

 こういう問題はどうすればいいんだろうか。