適当日記

日常の瑣事を書いています。

懐かしの玉手山遊園地

karaage.hatenadiary.jp

今日、上の記事を見ました。ワンダーランドには行ったことはありませんが、小さいころに連れてもらった遊園地にもあったような、懐かしい乗り物が写真でUPされていました。

 私の祖父母の家の近くには、遊園地がありました。なので、帰省などの際には必ずと言ってよいほどそこへ行きました。同級生にはうらやましがられたものです。

 その遊園地の名は玉手山遊園地。明治の終わりごろ、大阪に作られた日本で二番目に古い遊園地です。乗り物等もあるのですが、なんにしても小規模でした。ジェットコースターはなく、目玉のアトラクションは小さな観覧車程度です。私は、ボールプールという施設が大好きでした(地味)。囲いの中が、プラスチックのボールで埋められており、その中に沈んだりして遊ぶのです。今から考えると、そんなに面白いかねという気もしますが、当時は本当に楽しかったのです。ほかにも、昆虫館というのもあり、そこで昆虫を観察したりしました。遊園地には定番の戦隊ショーも見ました。ショーの場所は、野外劇場という名前でした(ネーミングが昭和!)。他に、なぜか観音像やお堂などもあり、遊園地の古さをうかがわせるものでした。世界観はカオスでしたが。ゲームセンターもあって、一回50~100円でできるものが殆どだったはずです。空気で膨らませた大きなマリオの風船の中に入れるアトラクションもありました(中で跳ねて遊ぶ)。これ、御存じの方いらっしゃいますか?自分は、玉手山遊園地でしか見たことがありません。

 色々と懐かしくなって、「玉手山遊園地」と検索してみると、ホームページが作られていました(遊園地自体は平成10年に閉鎖となり、現在は公園になっています)。

http://kashiwara-tg.sakura.ne.jp/tamateyama/top.html(思い出の玉手山遊園地)

きっと、自分と同じようにこの遊園地をかつて愛した人が作ったのでしょう。本当に懐かしい写真が満載です。この道を確かに通った、ここでアイスを買ってもらったなどなど、尽きせぬ思い出ばかりです。また、玉手山遊園地は桜の名所でもありました。花見に家族で出かけたこともありました。

 今の子供らが、もし当時の玉手山遊園地に行ったなら、きっと数十分で帰るでしょう。今の遊園地・テーマパークにある溢れんばかりの刺激と快適さはそこに無いからです。ピカピカした電飾もないし、有名キャラクターが場内を闊歩しているわけでもない。かっこいい・かわいいキャストがいるでもない。

 玉手山遊園地は山に作られています。なので、坂道が本当に多く、移動がかなり大変です(当時は全く苦になりませんでしたが、親は大変だったろうと思います)。クーラーもありません。どういうわけか、この遊園地の内部は道が大変分かりにくく、迷路のようになっていました。山一つがそのまま遊園地になっているので(これも今の子供らには想像しにくいでしょう)、色々な道があちこちに通じているのです。自分は、いつもすべての道を通って、遊び尽くさなければならないと思っていました(笑)必死に道を覚えて、全ての道を通ってまだ遊んでいないアトラクションがないか探しました。森の中に、遊園地が作られているので、鳥・獣・虫なんでもいるような、そんな場所でした。

 ちょっと大げさかもしれませんが、玉手山遊園地と今のテーマパークの違いは、自分が主役になれるかどうかかもしれないと思いました。以前どこかで読んだのですが、テーマパークは、全てがおぜん立てされていて快適で気持ち悪い。自分がテーマパークの背景の一部にされたようで嫌だというものです。自分はそこまでテーマパークを嫌ってはいないのですが、そういう感じ方もあるかと思いました。

 その点、玉手山遊園地は自分で感じたり動いたりしないと、何もしてくれない場所ではありました(笑)ショーが始まる時間も自分でたしか確認しないといけなかったはずですし、展示物なども自分から見に行かないと、決してそれらが見たいと思わせる仕掛けにはなっていないので、自分から見に行って、面白さを見つけないといけない場所でした。でも、このときの主役は間違いなく自分でした。

 余談ですが、玉手山周辺は大坂夏の陣の激戦地でもあり、徳川方に少数で挑んだ豊臣方の烈士、後藤又兵衛の石碑があります。彼は、この山で最期を迎えたとされています。ほかに、小林一茶の石碑もあり、歴史を感じる遊園地でもあります。ゲーセンありショーあり観覧車あり石碑あり。とにかく、情報量の多い遊園地でした。自分はそんな玉手山遊園地を愛していました。