適当日記

日常の瑣事を書いています。

『誤解だらけの人工知能』田中潤・松本健太郎著 光文社新書

 先日、図書館で表題の本を借りて読んできました。新書なので二日ほどで読めました。これまで私は、人工知能についてなんかすごいことができるものという程度しか認識が無かったのですが、本書を読んで少しだけ人工知能というものがなんなのか分かりました。

 

 とはいえ、本書は人工知能っていうのはこういうものだよという本であり、どういう理屈で人工知能が動くのかということや、人工知能がいつ頃、誰もしくはどの集団によって開発されたのかなど、あまり細かい話には踏み込んでいません。なので、既に人工知能についてある程度の知識がある人にはあまり意味のない本かもしれません。

 

 一方で、人工知能はすごいらしいが何がすごいのか。人工知能によって我々の仕事が無くなってしまうのではないかなどその程度の認識の方にはすごくおすすめの本です。因みに私は人工知能について何も知らないので、本書を読んでみて良かったと思いました。本書の著者によりますと、日本は人工知能のことをちゃんと理解している人が世界各国に比べて相当少ないそうで、危機的状況だそうです。

 

【目次】

はじめに

第一章 みんな人工知能を勘違いしている

第二章 人工知能はこの先の社会をどう変えていくか?

第三章 社会に浸透する人工知能に私たちはどのように対応するべきか?

おわりに

 

 人工知能については、大学や民間の研究機関でもすでに研究されているのですが、人工知能の定義については、まだ定まっていないということです。つまり、どういうことができたら、それは人工知能といえるのかということですね。研究者の間でも定まっていないのであれば、人工知能について素人の我々も分からなくて当然といえます。実際、さすがにこれは人工知能じゃないでしょというようなものでも、人工知能として発表されているものもあるそうです。著者によれば、人工知能と言っておけばウケが良さそうだからではないかと推論されています。金儲けの為に名前だけ詐称するのはよくある話ではないでしょうか。

 

 さて本書の中で、人工知能の定義づけが行われますが、2018年時点では人工知能=ディープラーニングとされます。2018年時点としているのは、人工知能の発達によって、何を人工知能とするかは変化するからということです。 ディープラーニングというのはなんかこうどんどん学習していって勝手なことをするという私の勝手なイメージだったんですけれども、そうではなくて与えられたデータに対して、それを上手に分類するというそれだけのようです。それだけというとガッカリという感じもするんですけれども、データの与え方次第で人間ができるような精度ではなく、とんでもない精度と速度でやっていけるのがディープラーニングということだそうです。

 

 また、人工知能というのは万能ではないそうです。今の段階では何々に特化した人工知能というのが最高水準にあるそうです。だから、例えば将棋で名人に勝つ人工知能と車を自動で運転させる人工知能というのは別の能力が必要なので、別個に作らないといけない。いろんなことができる人工知能が開発されるのはまだまだ先ということになります。この本の中には具体的にどれぐらいにできそうかということが書かれています。人間の仕事が人工知能にどんどん取られていくということは、いつの日かそういう日が来る可能性はあります。ですが、例えばある日突然全ての仕事を抉り取られるということはならず、だんだんそういう人工知能に仕事を渡していくということになりそうというふうに著者は述べておられます。ある日突然仕事がありませんということにはならないようなので、ちょっと安心しました。いろんな分野で一つ一つこう人間が人工知能に仕事を渡していくと。

 

 また、ディープラーニングの弱点みたいなのも紹介されてまして、空気を読むとか意味を理解するとかは、これからもなかなか難しいようです。さらに、データを与えられたときに、それを詳しく分析して答えは出せても、どういうわけでその分析をしたのかということも説明することはできない。人工知能が出してきたデータをどう読むかそれは人間の仕事だということだそうです。 

 

 第二章は、2010年代20年代30年代40年代というように時代を追って人工知能が社会をどういう風に変えるであろうかという予測が立てられています。私がおそらく生きてるであろう2040年代までなかなかすぐには社会は変わらないであろうことが分かりました。これは技術的な問題だけでなく、人々の無理解なども発展を阻むということでした。人工知能が仕事をとっていくということばかり聞いていたので怖いなと思っていたんですが、人工知能に任せるところは任せて、自分人間のやるところは人間のやるとこういう風になっていけば、共存という形になっていいのかなと。どれくらいの時代に何ができるようになるか、現在の予測を知りたい方はぜひ本書を読んでみてください。少なくとも私は本書を読んで何時ぐらいにこれができそうか分かり、非常にワクワクしました。

 

 第二章の最後の方に、人工知能に自我が芽生えるかという問いがあって、著者によれば、人工知能に自我があるかどうかというのは検証がどうすればいいかわからないということで、極端なこと言えば人間同士でも証明できないのではないかということです。 言われてみればそうなんですが、哲学の方でこれに対する答えがありそうな気もします。著者によれば、人間A(被験者)を用意して壁越しに人工知能と人間Bと対話させて、どちらが人間でどちらが人工知能でしょうかとした時に半分以上の人間が人工知能を人間ですと誤認したら、それで人工知能に心があるということにしたらどうか、人工知能に心があると20人中10人ぐらいお答えてればもう心があるということでいいのではないかっていうことなんです。

 

 これには驚きまして、この考えでいくと人間と人工知能がほぼ同等でになってしまうということになります。これで本当にいいのかどうかというのは思うんですけれども、こういう考え方もあるかというふうに思いました 。

 

 第3章では社会に浸透する人工知能に私たちはどのように対応するべきかが書かれています。人工知能は確実に人間の仕事を代わってやっていくということで、これはもう間違いないようです。ただこれのせい(おかげ?)で個人の能力で生きる時代がやって来るという話です。会社の仕事は人工知能に代わられて、そんなに人が要らなくなります。すると、会社に属さない人が大量に出てくる。個人の資質で働いていくということですね。だから社会人会社に属する人がどんどん減っていくのではないかということです。

 

 ただ、個人の資質で生きていける人ばかりではありませんのでこの辺はなかなか難しいかなという風に思いました。この本の著者にはベーシックインカムの話も少し出てくるんですけれども、この辺はもう少し詰めてやらないと難しいかなという感じがいたしました。

 

 今まで人工知能について誤解していた部分がある程度わかりましたので良かったなと思いました。 満足の一冊でした。いつもより、かなり多めに書いてしまいました。